ニッポンチャレンジの軌跡

Jimmy Spithill sails F4 race yacht from New York to Bermuda with Team Falcon on November
© Matt Knighton

アメリカズカップレースが日本に与える衝撃を早福総監督兼選手が語る

陽の上る国・日本からのアメリカズカップへの挑戦が途絶えてから15年が経つ。早福和彦総監督兼選手は、アメリカズカップに対する情熱は未だ絶えない。

「フク」という愛称でも知られる早福は、ニッポンチャレンジに所属していた1995年と2000年を含め、世界最古のスポーツトロフィーとされるアメリカズカップに4度挑戦をしてきたベテランである。

1992年に結成され、日本から初めてアメリカズカップへの挑戦を表明した日本チャレンジは、1992年、1995年、2000年と3度の挑戦全てでルイ・ヴィトンカップの準決勝に進出した。

ルイ・ヴィトン・アメリカズカップ・ワールドシリーズ福岡大会。アジア初となるアメリカズカップレースの開催を数日前に控え、早福と一緒に、ニッポンチャレンジの拠点がかつてあった愛知県蒲郡を巡った。

15年を振り返って、ニッポンチャレンジは日本にどういったインパクトがあったか?

ニッポンチャレンジは日本初のアメリカズカップ挑戦でした。私は誰しもに、日本は海に囲まれた海洋国で、海との長い歴史を持っていると話してきました。

だからこそ、日本が世界最高峰のヨットレースに挑戦することが大事なのです。

しかし、セーリング技術という点で言えば、日本人だけのクルーで挑戦することは夢のまた夢でした。スタートラインに立つだけでも大きなハードルだったのです。

ソフトバンク・チーム・ジャパンは将来的にどういった軌跡を残すと思いますか?

ソフトバンクグループの支援もあって、15年途絶えていたアメリカズカップ挑戦が叶いました。

チームを昨年結成し、このたび福岡の博多湾でレースをすることが決まりました。これは本当にとてつもないことです。

アメリカズカップの新しい文化を日本人の皆さまに紹介したい。それが私の願いです。セーリングは環境や自然を学ぶのにとても適したスポーツで、子どもたちにとってもとても良いです。喜んで皆さまにご紹介しますし、この軌跡が少しでも将来に渡って残ってもらえたらと心から願いします。